East gate,Open the sea.

飽きるまで推す

世界を平和にする程度の能力

 4月に観たハイステの推しが最高という話と推しの効能とバタフライエフェクトの話。
 このブログでは何度も言っていますが私の推しはまばたきが「最高」で、私は推しのまばたきは蝶のはばたきが竜巻を起こすように巡り巡ってどこかで紛争を止めていると思っています。そのつもりで読んでください。

 

 こんにちは叔父です。同担(思念体)の皆々様はお元気でしょうか?
 ハイステ東京の最前・良席が死んだから元気じゃないのだろうか。かく言う私もなので死んだチケットを生贄に今後の良席を召喚したいところである。
 推しがはじめて出た舞台の、私が推しにはまったきっかけでもある作品のシリーズの最後に今年も推しは呼ばれ(今回も呼ばれた理由はやっぱりわからないけど、推しはやはりあの作品の「運営の推し」というやつなのではと今作観て思った)、大阪兵庫は観られたけど残り持っていた東京は全部無くなるわ配信も無くなるわで「お、おお……」としか言えない非常に微妙な感じで幕を閉じてしまった。
 この一年でありとあらゆる、本当にありとあらゆるチケットたちが死んでしまったので感覚が麻痺していた私よりおそらく推し本人の方がショックだったのではないだろうか。関西方面の刀ミュ本公演チケットはもはや呪われてんのか????? という感じである。あと今年は初めて「遠征先で中止」が起こってしまって私は「笑うしかねえな笑うしかねえよ」ととっさに出たのが桃城武構文(武構文としては他に剛田武構文「俺のものは俺のもの○○のものも俺のもの」や山本武構文「なのなー」がある)だったのだけどそんなことある?
 ハイステ東京・配信が無くなってもそこまで落ち込まなかったのは私がすでに大阪兵庫でいろんな席から推しを観たのである程度の満足はしていた……いや、満足はしていない。満足したら上に行けないって宍戸さんも言ってたしな(推しはテニプリとは関係ない)。ただ現地で一回も観られなかった昨年に比べたらだいぶマシだった。

 いや~~しかし2年ぶりに生で観る木葉役の推しが最高だった。あと久しぶりに双眼鏡を使って推しを見た気がする。2.5じゃない推しの舞台は最速先行で申し込めばまあまあ前方がとれるので双眼鏡を使うには微妙な席が多くてたぶん久しぶりに推しを双眼鏡使ってみた。双眼鏡を使うと、まばたきがよく見える。あとなんだ、あのメイクがいいのかな。舞台メイクに詳しくないけど実際のメイクだったらそこまではしないかなというような目の上に二重みたいな線引くあのメイクはなんていうんだろう。おとぎ裁判のアイメイクもバチバチに濃くて好きなのだけどただあのメイクはまばたきが非常に見にくい。いや、双眼鏡を使ってないから見にくいだけかもしれないけど。あとはおとぎ裁判のときはわりかし推しはいつも半笑いで目を細めている所為もあるかもしれない。
 とりあえず今回の木葉はメイクのおかげが双眼鏡のおかげがはたまたライトのあたり方がよかったのかわからんけど「最高」だった。
 私は推しのことを「私は好きだ。しかしその界隈で飛び抜けて一番かと言われるとそうではない気もする」という意味で推しをほめる際に「一等星」を使うのだがハイステは毎公演観劇後は「推ししか勝たん」のゾーンに入っていた。狂った人と思われたくないしこのご時世なので絶対にしないが終演後「見た? あれ俺の推し!!!!」「推しが一番だったよな!????」「いや~~~すみませんね推しが最高で」と知らん人の肩を揺さぶる勢いだった。
 基本的にはみんなみんな自分の推しが一番で最高だよな~~~と思っているんですがハイステ公演期間は「推しが最高ですまない」状態だった。他担を煽るな。


 しかし推しは最高だったのだがこの公演期間、肌がむちゃ荒れた。荒れに荒れた。興奮により普段よりも呼気がマスク内にたまったことが原因ではないかと思われる。あとはまあ寝不足です。前回のブログ(推しの染髪と2020年のオタ活と影送りについて - East gate,Open the sea.)で「今の肌をマンガでたとえると北斗の拳の治安」と書いてさすがに盛ったかなと思ったけどこの観劇期間中に「ラオウか??」みたいな感じのにきびがあごにできてとうとう皮膚科に行きました。
 なんかTwitterとかはてぶでは「推し、肌荒れに効く」みたいなことよく効くけど嘘やん。私の推し、全然効かんやん、と思いました。肌荒れにも効かんか~~~~。
 過去(コロナとか流行る前の話です)にもサイゼリアで安いワインを二人でボトル三本開けて帰宅後むちゃくちゃに吐いて床に転がってたときも壁に貼ってある推しのブロマイドは全然効かなかったし翌日の二日酔いにも全然効かなかった。そのブロマイドはテーブルに小指ぶつけたときにも見たけど一切効かなかった。変な寝方して足がしびれて起きたときも効かなかった。「しびれ京へのぼれ」というしびれを治すおまじないがあるけど推しがなんらかのおまじないにならないかことあるごとに推しのブロマイドを見て推しが効くか試しているが効いたことはない。体感としてMPは回復するがHPには影響しない。ブーストをかけることはできるが基礎体力をあげるわけではないなといろいろ試して思った。
 しかし推しはそのまばたきで世界を平和にしているので私に効かなくてもいいのである。

 MPは回復するというか麻痺させる効能はある。
 配信すら中止になった日の夜、推しが珍しく長文をインスタに投稿した。長文(過去投稿比)である。
 前提として、私は脳味噌が筋肉の元気なオタクなので「辛いことがあったならその辛いことを考えられる時間を減らせばいい」と言ってむちゃくちゃに残業するタイプである。仕事が好きなわけではないが疲れて帰宅すると後は寝るしかないので辛いことを思い出すまもなく入眠できる。しかも次の給料日、残業代がすごいことになっていいことばかりである。
「元気がないだって? それは懐が寂しいからさ!(意訳)」とはシェイクスピアのなんかの戯曲の台詞である。
 ただこれは「私にはこの方法が合った」というだけで「働いてむちゃくちゃ疲れているのに辛いことが頭をよぎって眠れないし明日も朝早くから仕事」とか「働いている間も辛いことが頭をかすめ涙が止まらない」とかあると思うので万人にすすめられる方法ではない。やってダメそうだったら真似しないでね。
 しかし「仕事をしている間は辛いことを考えなくて済む」とは言ってもずーっと仕事のことを考えているわけでもない。私は会社のデスクでパソコンに向かっているときは概ね仕事のことを考えているのだけどトイレにいくときだけその集中力が切れる。その所為でデスクのある部屋を出て、トイレに向かう道のりで「うわっ東京凱旋中止つらっ!!!!」みたいなのを急に思い出すことがあった。
 このまま行くとこの廊下を通るたびに辛くなるという最悪のパブロフの犬になっちまう……と思っていたけどそんなところで配信も中止になり、推しが長文を書いた。その次の日は仕事のことを考えていないときは「推しが長文を書いた……」という感情に埋められたので「辛い」とか考える隙間はわずかであった。
 あんまり会社でスマホで推し関連のことを見ないのだが(私は弊社に推しのオタクだと隠している故)、その日は席を立つたびに推しのインスタを眺め「長文だ……」と思っていた。ちなみに「長文」ということに感情のほとんどを持って行かれているので何度も読んでいるはずなのに未だに内容が記憶に残っていない。
 とりあえず推しの長文は凹んでいるはずのMP(メンタルポイント)を麻痺させる程度の効能があった。回復というわけではないけど「辛い」という感情よりも「推しが長文を書いた」という衝撃が強くて麻痺した話です。
 推しよ、今後出演する作品が中止とかなんとかなったらポメラニアンの子犬を抱いた写真を投稿してくれ。たぶん私は全部麻痺する(叔父は犬が好き)。


 推しが先週のラジオで「辛いときにこの曲を聴いた」、「誰かの心の支えになれたと思うと胸を張れる(要約)」というようなことを言っていた。私は推しに救われたことはない気がするけど(なんかかわいい写真を投稿されると「いや~~助かりますわ~~~」と思うときはあるけどなにが助かっているのかは知らん)、これも救われたに入るのだろうか。救われた話はパッと思い浮かばないけど推しのおかげで人生は変わった。大阪-東京間が短くなった。もちろん物理的な距離は変わっていないけど、以前は東京、むちゃくちゃ遠かったんだよ。今は最安値片道1500円だもんな。昨年はクーポンを使ってこの最安値をさらに下回った。推しがいなかったら間違いなくこんな夜行バスに乗るような人生ではなかった。


 ハイステの推しが最高だった話に戻るが、私は冒頭申し上げたとおり「推しのまばたきは巡り巡ってどこかの世界の紛争を止めている」と思っている。本気で思っている。紛争を止めるか、どっかの大砲に花を咲かせるか、とりあえずどこかで世界を平和にしていると思っている。が、異論は認める。これは個人の意見であり個人の信仰であり、「私はそう思っている」である。「世界を平和にしているのは私の推しである」という他担もいると思う(でも世界を平和にする人間なんか何人いても困らんので私の推しもあなたの推しもどっちも平和にしているということでいいとも思う)。
 なのでこれに対して「そうはならんやろ(ポプテピピック)」と言われても「さよか」と返事をする。
 でも、ハイステを観て、板の上の推しを見て、うまく言えないが証明をしたくなった。私の推しは最高である。も、すっご、あの、なに、すご、最高なんすわ(語彙力の限界)。世界のひとつやふたつ平和にするくらいやってのけてるんですわあの人は、と思った。
 推しを見ていないときの冷静なときの叔父は「なにを言うとんのや」とも思うが観劇直後はマジで毎公演そう思って「なんとかこれを証明しなくては」というよくわからん衝動に突き動かされていた(もちろんここのBGMはB’zの「衝動」)。
 そしてその衝動のまま、私は観劇した帰り道のコンビニでレットブルを千円で購入しお釣りをすべてレジの横にある募金箱に入れた。その程度しか思いつかないんかいとも思うけどその日できる限りの世界平和への貢献である。何の募金かも見ずにお釣りをぶちこみ翌日も同じことをした。
 たかが募金ではあるが、私は大変なケチなので募金は全然しない。募金したら犬を撫でさせてくれそうな募金に犬を撫でたいという下心で募金したことあるけどそれも10円とかである(犬は撫でた)。レッドブルのお釣り、700円ちょっとを連日募金箱に叩きつけてから帰宅していた。世界平和につながる端の端だけど、推しが最高でなかったら私はコンビニのレジ横にある募金なんて一生しない。推しのまばたきが最高で、そして最高の推しのまばたきを見たオタクが、そのまばたきが世界平和につながることを証明したくて、普段は絶対にしない募金をして、それは微々たる金額ではあるがどっかの誰かの役には立ったと思われる。
 なので、今後は推しのまばたきは世界を平和にする、と大手を振って言う。
「そうはならんやろ」に対して「なっとるやろがい」と言うからな!!
 うるせえ! 推しは世界を平和にしてんだよ!!!!
 異論は認めねえ!!!!


 と、今は思うが推しを見ない期間がのびると私は日和るので「そうはならんやろ」と言われてもまた「さよか」と言ってしまう気がする。推しよ、そうなる前に次の舞台を頼むぜ。
 8月のイベントは大変楽しみだけど、新しい役をやる推しを早く見たい。バッチバチの推しを見せてくれ。

 ちなみに「推しが長文を書いた」とは言ってもこの文章の1/10くらいのもんである。
 あと説明するまでもないと思うけど「~程度の能力」の元ネタは東方です。好きな東方アレンジは石鹸屋です。